魔力やスキルでわけが分からなくなってしまったが、俺はもう一つ心配があった。
それは、俺が一体どうして船に乗っていたのか思い出せないことだ。ステータスでは俺は十五歳の森の民であるらしい。
しかしそう言われても実感がない。 正直俺は、自分がもっと大人のつもりでいた。二十代とか、何なら三十歳くらいのだ。それに時折自然に脳みそを流れていく、変な言葉や記憶たち。
某国民的RPGやら、底辺高校のヤンキーやら、バトル漫画やら。 俺にとってはこれらの方がよほど馴染みがあって、今の自分は突然どこか別の場所に放り込まれたようにすら感じる。「異世界転生……?」
スキルやらステータスやらがある以上、ここは俺が本来いた場所ではない。そう確信がある。
ならばここは別の世界で、俺自身も前の俺ではない。 それこそゲームやアニメで聞いたことのある、別の世界に生まれ変わる――異世界転生をしてしまったと考えるとしっくり来た。船が沈没したショックで前世の記憶を思い出したってとこか。
思い出した引き換えに今までの十五歳分の記憶が消えてしまったのが痛いが、今さらどうにもならん。「いやあ、どうするかなぁ……」
俺は心の底からのため息をついた。
異世界転生したらしいと分かっても、事態は何も変わりはしない。 俺の両手は呪われた剣と盾が張り付いており、ステータスはほぼオール1で、頼れる人は誰もいない。 何もかもが絶望的だ。けれども俺は死ぬのは嫌だった。
というか、こんなわけの分からん状態でわけの分からんままで死ぬとか、誰だって嫌に決まっている。 船の難破も、ルードみたいな性格クソ悪野郎に生肉食わせられたのも、理不尽な目に遭うのはもうコリゴリだ。死んでたまるか。
生き延びてやる。 俺の願いは生きること……! これからこの世界で、きっちり生ききってやるんだ! 他でもない、俺自身の力で!!そう決めたら、腹の底から力が湧いてきた。
そうだ、このままじゃいられない。やられっぱなしでいられるか!「町に行ってみよう」
このまま洞窟でこうしていても、ただ時が流れるだけだ。
町に行けばスキルが習えるかもしれない。そうしたら呪いも解ける。 生きていくのに必要だった。「腹が減ったな」
これから長時間の移動をするのだ。余裕のあるうちに飯を食っておこう。
俺は袋から堅パンを取り出して、固さに苦労しながら食べた。飲み物がなかったので、赤いポーションで流し込む。ちょうどよく減っていた体力が回復してくれた。「よし、行くぞ!」
焚き火に灰をかぶせて消す。
立ち上がった俺は袋を担いで、洞窟の外へ出た。 洞窟の外は木立の中だった。 空を見上げれば、太陽はまだ高い位置にある。これから移動するにはいい時間だろう。 ニアは西に海岸があると言っていた。 西はどっちだろうか? 俺の前世知識(?)が通用するならば、太陽の位置から見て西は洞窟の左手になる。 この世界の太陽の運行が前の世界と違っていたらお手上げだが、とりあえず信じて歩くことにした。少し歩けば木立はすぐに途切れて、行く手に海が見えてくる。予想は外れていなかったようだ。
海岸線の砂浜に到達したあたりで南下する。一応、歩数を数えながら歩く。 七千歩ほど――つまり一時間半少々――歩くと、行く手に町が見えてきた。「やった! 町だ! ……ゲボッ」
思わず歓声を上げた俺は、横っ腹に衝撃を受けて間の抜けた声を上げた。
何事かとそちらを見れば、憎っくき最弱魔物のグミが二匹、ぽよんぽよんと跳ねている。 歩くのと町の発見に夢中になるあまり、不意打ちを許してしまった。だが、こんな見晴らしのいい場所で不意打ちとか、どういうことだ。
と思ったら、よく見れば魔物どもは海岸の砂浜の砂に埋まって獲物を待ち構えていたらしい。 グミがさらに二匹、砂の中から飛び出すように現れた。しかもそのうち一匹は色違い(赤)で、手ごわそうな感じがする。合計四匹、戦って勝てるか?
……三匹相手でも死にかけたんだ、勝てないに決まってるだろ!ここは逃げの一手だ。
けれども運の悪いことに、グミどもは町の方向に陣取っていた。つまり町に逃げ込むのは難しい。 俺は素早く周囲を見渡した。 周りは何もない砂浜が広がっている。 洞窟のときのように一対一の状況は作れない。 しかも砂の中にまた別のグミが潜んでいるかもしれない。それを察知するすべはない。「あそこまで行けば!」
海と反対、東の方向はぱらぱらと木が立っている。
俺はその木の一本に向かって猛ダッシュした。 グミたちはぽんぽん跳ねながら追いかけてくる。 木は近づいてみると松の木に似ていた。ちょうどいい、枝が曲がっていて登りやすい!必死の思いで木に登る。
両手にいまいましい剣と盾が張り付いているので、とても登りにくかった。 それでも追いつかれる前に枝に登れた。上に上がってしまえば案の定、グミどもは下から見上げてくるだけだった。
あいつら手足はないからな。木登りなんぞできねえだろ。 だがグミたちは諦め悪く地面をウロウロしている。立ち去る様子はない。 このままじゃ俺も立ち往生してしまう。最悪、木の上で餓死だ。どうしたらいい?
俺は何か使えるものはないかと、担いできた袋をもう一度漁ってみた。ニアはゆっくり続ける。「わたしたちが海岸であなたを見つけたとき、あなたは既に息絶えていた。森の民だということは、すぐに分かったわ。わたしはもう、誰一人として同胞を失いたくなくて――」 彼女は胸に手を当てた。 いつの間にかニアの体が淡い緑光に包まれている。「エーテルライトの力を使った。莫大な魔力を屍体に注いで、命を呼び戻した」 ――違う。とっさにそう思った。 森の民として生きていた十五歳の少年は、あのとき死んでしまった。 彼の命が呼び戻されたんじゃない。 あやふやな前世の記憶を持った『俺』がたまたま体に入り込んでしまったんだ。 俺が覚えているのは、船が海に沈みゆく場面。 あれが本来の『彼』としての最後の記憶だろう。 肉体に刻まれたわずかな記憶だけを引き継いで、無関係の俺が体を乗っ取ってしまった。 そう考えると急に納得がいった。 十五歳時点でオール1というステータスの不自然さも。 森の民の生まれでありながら魔法の才能が伸びなかったのも。 全ては異世界人である『俺』のせいなのだろう。「俺は止めろと言ったんだがな」 吐き捨てるような口調でルードが言う。「今のエーテルライトに宿る魔力は、多くが森の民の魂に由来するもの。戦争で虐殺され、炎に巻かれて死んだ同胞たちの魂を魔力として保存した。お前の蘇生に同胞の魂が何人分、使われたと思う?」 俺は答えない。答えられるはずがない。 ニアは首を振った。「それはいいの。エーテルライトの中の人々に問いかけて、あなたを蘇らせるのに同意してくれた人の力を使ったから。中にはあなたの親族もいたわ。みんな若いあなたを心配していた」 若い。その言葉が引っかかった。 改めてニアを見る。 彼女は少女の姿をしている。せいぜい十三、四歳の出会ったときと変わらない姿を。 森の民は長寿の種族。 けれど子供の成長は他種族と変わらないと、魔法都市国家のディアドラが言っていた。 俺自身、十五歳の
けれど俺は思ったのだ。 六年間この大陸を放浪していたというニアとルード。 その旅路はまるで、『何かを探しているようだった』。 ただの印象だが間違っていないと思う。 俺はのぞみの部屋とやらには興味はない。 望みがあれば自分の力で叶えるつもりだからな。 今までそうしてきたし、この先もそうだ。 だが――ニアとルードはどうだろう。 ルードの反応からして、彼らが秘宝に関わっているのは間違いない。 では何を探しているのだろう。 六年、いいやそれよりももっと前から。 彼らは放浪の旅を続けて何を求めているのだろう。 話を聞いてみたいと思った。 命の恩人であり、残り少ない同胞である彼らから。 そして、彼らの望みに俺が手を貸してやれるならそうしてやりたい。「ルード」 ニアが言う。どこか諦めたような、疲れたような声で。「話してみましょう。彼だって森の民なのだから」 ルードは答えない。沈黙は消極的な肯定だった。 俺は中堅クラスの宿を取った。 安宿じゃあ壁が薄くて隣の部屋に声が漏れるかもしれない。 かといって高級宿は旅人の風体の俺たちに不釣り合いだからな。 一番広い一室に集まる。 エリーゼには遠慮してもらった。「ごめん、エリーゼ。邪魔者扱いするつもりはないんだ。ただ、この話は聞かないほうがきみのためになる」「分かりました。ご主人様がそうおっしゃるなら、わたしは何も不満はありません」 エリーゼには隣室で待機してもらっている。 一応、周囲に人がいないか確認した。 俺だって腕利きの冒険者だ。気配があれば気づく。「で、だ」 ニアとルードを眺めやって俺は切り出した。「二人はエーテルライトを持っているのか?」 単刀直入だが、ここまで来てもったいぶっても仕
「ニア、ルード!」 俺が声を上げると彼らは振り向いた。不審そうな顔をしている。 思わず駆け寄ってルードの腕をつかむ。「俺だよ、忘れちまったか? 六年前に難破船から助けてもらった、ユウだ」 水色の髪の少女ニアが目を見開いた。「あのときの? 雰囲気が変わって分からなかったわ」「あの死にぞこないか。いい加減腕を離せ」 緑の髪の青年ルードが不機嫌に言う。「ご主人様。その人たちは?」 背後でエリーゼの声がする。しまった、彼女を置き去りにしていた。 俺はルードの腕を離してエリーゼに向き直った。「俺の命の恩人だよ。前に何度か話したことがあるだろ」「あぁ、難破船の」 エリーゼはうなずいてくれた。「で、なにか用か?」 ルードがぶっきらぼうに言う。「用ってわけじゃないが、六年ぶりに再会したんだ。どこかに腰を落ち着けて話をしていかないか?」 そう言ったが、二人の反応は鈍い。 俺は付け加えた。「なんでもおごるよ」 ルードがピクリと体を震わせた。「……そういうことなら、乗ってやろう。俺たちは昼飯を食いそこねた。どこかうまい飯屋に案内してくれ」「オッケー。じゃあ適当に見繕うよ。――エリーゼ、すまないけど付き合ってもらえるか?」「はい、もちろん」 というわけで、妙な再会を果たした俺たちは食堂を探して歩いていったのだった。 夕食どきには少し早かったが、さすがは人でにぎわう王都。 半端な時間でも営業している食堂を見つけて、俺たちは入った。「それじゃ再会を祝って。乾杯」 エールのジョッキをぶつけ合わせて、ごくごくと飲む。 ニアとルードは最初は無言がちだったが、これまでの話を少しずつ聞かせてくれた。「わたした
思いもよらぬところで砂糖を入手した俺たちだが、とりあえず甜菜の種を増やさないことにはどうしようもない。 今年の冬は今まで通りに過ごすことにした。 羊毛の染色剤の在庫がなくなりかけているので、今年も王都パルティアへ買い出しに行く。 年末にはまだ早い時期だったが、王都はにぎやかだ。「王都はいつも賑わっているなあ。というか、去年より人が多いんじゃないか?」 俺が言うと、いっしょに来てくれたエリーゼが教えてくれた。「今年の春、アレス帝国に王女様が輿入れしたでしょう。秋になってご懐妊が発表されたんです。それで、パルティア王国とアレス帝国の間で使節団が行き来して、お祝いしてるのです」「へぇ~」 結婚してすぐ懐妊か。 確かパルティアの王女と結婚したのは、アレス帝国の第三皇子とかだったと思う。皇太子じゃない。 つまりパルティアにとってもアレスにとっても跡継ぎではないのに、そんなにお祝いをするものなのか。 ちょっと不思議に思ったが、両国の王族の結婚は国同士のつながりを深める。 庶民の俺には伺いしれないものがあるんだろうな。「ほら、噂をすれば。あちらの大通りを帝国の使節団が通っていきますよ」 エリーゼが指さした方向に視線をやれば、人だかりの向こうに立派な馬車が連なっているのが見えた。 遠目にもパルティアとは少し違う雰囲気の馬車で、なるほど別の大陸の国らしい。 俺は人だかりをかき分けて見物のために前に出た。 馬車の窓にはカーテンがかかっていて、中は見えない。 けれど、ふと。 妙な光を見た――気がした。 カーテンの細い隙間から射抜くように視線が投げかけられたような。 禍々しいまでの赤い光に射抜かれたような。「ご主人様。どうしましたか?」「……いや。なんでもない」 エリーゼの声で我に返る。 気がつけば手のひらにじっとりと嫌な汗をかいていた。 ――なんだったんだ。 俺は肌身離さ
収穫祭が終わった秋の後半、俺は畑で腕を組んでいた。 小麦の収穫が終われば未収穫の作物は残り少ない。 その少ない作物の中に、例の赤カブが含まれている。 今年初めて育てた作物である。 で、赤カブも十分に育ったので引っこ抜いてみたのだが。 赤い色のカブにまじって明らかに白いカブがあった。 その数、およそ十本に一、二本の割合。「なんだろうな、これ。突然変異?」 赤カブはカブらしく丸っこい形。 白いほうはもう少し大根に近く、ごつごつとしながらも丸い形だった。「近縁種の種がまじっていたのではないか」 と、イザクが言った。「そうかも? まあ、原因は分からんよな。問題はこの白いほうが何なのか」 実は疑いがある。 これ、|甜菜《てんさい》じゃないか? 甜菜。別名をビーツ、砂糖大根。 砂糖の原料になる作物だ。 もしこれから砂糖が作れるとなれば、非常に大きな利益を産むだろう。 何しろパルティアで流通している甘味はハチミツかサトウキビの黒砂糖。 どちらも生産量は限られる。 特にサトウキビは温暖な気候でなければ育たないので、パルティアの中でも南のごく一部の地域、それに南国のササナでだけ栽培されている。 前世日本の記憶はほとんどが曖昧で、甜菜の形だってふんわりとしか覚えていない。 ましてや甜菜から砂糖を作る方法など知らない。 だが巨大な利益を目の前にしてみすみす逃すわけにはいかん。 けれども今年、こいつは花を咲かせなかった。つまり種が取れていない。 種が取れないと来年の栽培ができない。「なんで花が咲かなかったんだろう?」 俺の疑問にイザクが答える。「二年草なのだろう。一年目は花をつけず、二年目になると咲く」「ということは、このまま収穫せずに育て続ければいいのか」 何個かは砂糖抽出を試すために収穫するとして、残りはそのまま土に埋めておくことにした。 さ
「ユウ様! どうしたんですか。難しい顔して」 両手に出店の食べ物を抱えた村人の青年が、笑顔で話しかけてきた。 俺は注意してやる。「こら、様付けはやめろって言っただろ」「あはは、そうでした。ユウさん」 彼らは長年奴隷だったので、どうにも癖が抜けきらない。 けれどこの村で生まれた子は生まれながらの自由民。 あの子たちのお手本となるよう、意識を変えていってほしいものだ。「何かお考えでしたか?」 今度はエリーゼがやって来た。 肩から羊毛織りのポシェットを下げている。「ああ、ちょっとな。そのポシェット、いいじゃないか」「はい! さきほどお店で買ったんです。どれも良い品物でした」「うん。……メダルと品物の価値の釣り合い、どう思う?」 彼女は何年も店の経営に携わっている。 こういった話は得意だ。 エリーゼは少し考えてから答えてくれた。「品物の豊富さに比べて、メダルの流通が少し少なめですね。羊毛製品はなかなか良い出来ですし、農作物はパルティアのものより品質がいいです。ご主人様のアイディアで新しい料理が出ていて、どれもおいしい。パルティアのお金で買うとなれば、相応に価値が出るでしょう」 彼女のご主人様呼びは変わらない。 メイド姿のエリーゼに『ご主人様』と呼んでもらうと、なぜか心が深く満足するのだ。 他の奴隷に様付けやめろと言っておいてなんだが、まあ、俺は今でも彼女の雇い主だから。 大目に見てくれ。「村にも通貨を導入したいんだ。どう思う?」「今すぐは時期尚早でしょう。村の中だけだったら、物々交換で事足りますから」 エリーゼはちょっと言葉を切って続けた。「でも、皆さんは自由民になりました。働いた分の報酬、農作物の売上、自分の財産……。そういった意識を育てて行くのに、いずれお金は必要だと思います」 彼女は感慨深そうな目で収穫祭の様子を見ている。 かつては搾取されるばかりだった元奴隷たちの姿を。